テレビの見過ぎは兎も角ダメだという話が多い。
テレビは一方的な受身なので考える力を無くすとか、時間をつぶしてしまうとか言われている。
まあ、それらは事実だろう。
でもテレビを見ていると面白い。面白いことは悪いことなのだろうか。
テレビは良い面、悪い面がある。頭の良くなるテレビの見方を考えた。
目次
私はテレビが大好きだ
実は私は大のテレビっ子だ。最近はぞくぞくする番組がなくなってちょっと寂しく思っているが、確かに面白い。モニタリングという番組で年寄りに扮したアスリートが対象者を驚かすという番組や笑点なんかはとっても笑えて面白い。
他のバラエティ番組も良く見る。時間がもったいないので録画して早送りして見ることも多い。でも、こうしたテレビ視聴を含めて生活は充実している。テレビも生活の一部なのだ。歌番組も最近少なくなったとは言え、あれば見る。旅行番組も良い。
面白いものを面白いと言ってなぜ悪い
テレビは人間の叡智が作り出したもので、兎も角、面白くなるよう、興味を引くように作られている。面白くなるように作られているから、面白いと思うのは当然のことだ。本来面白いものを面白くないと取る方が感受性がどうかしていると思ってしまう。面白いものは人生をも面白くする。
しかし、確かにテレビを見ていたら、結局のところ「だから何?」で終わってしまい何も残らないことも多い。ただ、時間だけが空しく過ぎていたということだ。でも、これって遊び全般に言えることではないだろうか。ゲームをやっていてもしかり、花札、トランプ、麻雀とやってもしかりではないだろうか。何もテレビだけが悪者ではないはずだ。
頭が良くなるテレビの見方
見る番組にもよるだろう。情報番組はそれ自体で役に立つ。歴史番組は歴史を再認識する。
テレビの見方で、一押しなのが、振り返りを行うことだ。自分であればこのドラマはこう作るとか、ここで作者の意図はなんだったのだろうかとか、ここでこの人の動きがこうなっていたら結果はどうだっただろうか、と様々なことを考えて頭を使うことだ。
名探偵コナンのあのバカげたトリックは、どこがなぜバカげているのか、現実離れをしているのかなど考えることは本当に面白い。ドラえもんを見ていて、親が子供に「どんな道具が欲しい」とか言って、想像力を養うのも良い。案外、現実的かつ独走的なアィディアが出てくるかもしれない。
本当に本当にダメなテレビ番組があったとしたら、「役に立たない○×の番組はこうして役に立たせる方法」といって何をどうしたら役に立つようになるかを考えることだ。
テレビを見ると受動的になって考えることをしなくなるということについては、こうした方法で回避できる。
一概にテレビはダメというのは飛躍し過ぎている。
テレビ中毒を考える
テレビ中毒、インターネット中毒、○○中毒と、最近は色んな中毒がある。
これらの中毒は、止めようと思っていても止められないこと。止めないで続けてしまい他に悪影響を及ぼすといったことで中毒と判断する。
逆説的に言えば、止めようと思わないし、悪影響がないなら中毒ではないということだ。
テレビを見ていて、寝不足になるとか、家事が疎かになるとか言うならそれはもう中毒と言って良いだろうが、何ら体制に影響がないなら、テレビを何時間見ていても問題ないのではないか。
テレビしか娯楽のない人もいる
事実、おじいちゃん、おばあちゃんで何もやることがなければ娯楽はテレビだけだし、今更、頭に悪いといっても始まらない。
テレビ以外にやることがあれば、それをすれば良い。何も無いならテレビを見れば良い。テレビがあることで救われている人は大勢いるだろう。