効率、非効率を問わず、適度な忙しさが一番良い
蚤野は今、とあるお役所でアルバイトをしている。お役所というところは、部署によって暇なところと忙しいところがある。
今の仕事はとても暇だ。役所は、予算が付けばラッキーという具合に、いろいろ理屈を付けて予算要求する。要求する部署の所属長にしても、部下がどれだけ忙しいかは、部下の残業や日ごろの仕事ぶりを見て判断はするが、実際にその所属長が事務をしているわけではないので、具体的な事務量は分からない。
ある意味、部下の「忙しい」という言葉に説得されてしまうということもある。そんな部署かどうかは知らないが、今の職場は暇だ。だから、急げば1日でできる仕事を「きっちりと」やって3日ぐらいかけるのも日常茶飯事。
ここに至っては、非効率で働くということも能力と思うようになった。効率的な仕事が一番良いと常日ごろ思っている身としては真逆の話である。
果たして効率的というのは正しいのかどうかと思ってしまう。いや、本来は正しいはずだ。1日で終わる仕事を3日も4日もかけてやられたとしたら企業側は上がったりだ。その分の給料を払わないとならない。逆に、通常3日も4日もかかる仕事を1日で終わらせることができれば経済的だ。
でも、これって、お金を払う側ともらう側の立場で全然異なるということはないだろうか。お金をもらう側にすると非効率が正しいのかもしれない。
ある会社に新卒で入ったAさん。先輩たちがエクセルを使ってやっている仕事を見て蚤野ならもっと効率的にできると、関数やVBAを使ってエクセルフエイルを改良した。劇的に効率化することができたが、その先輩たちから総すかんを喰らったらしい。
「なんでそんな余計はことをするのか。空いた時間ができた分、他の仕事をやらされたので結果的に業務量が増えたのではないか」とのこと。
とある国では、作業は非効率に行わなければならないらしい。日本から赴任したBさん。非効率な仕事のやり方を見て、これはなんとかしないとならないということで改良をするように促したが受け入れられなかった。非効率な仕事でその国の雇用が維持されていることを後で知った。
効率が常に正しいというわけではないという話だが、個人的には適度な忙しさが良いと思う。過労死に見られるように忙しすぎは論外だが、暇すぎるのも時間の進みが遅いのである程度の忙しさは欲しいと思うこの頃。