高校中退

高校は中退しない方が良い、中退するとこんな悲惨なことが待っているという実体験

私は高校を中退したことがある。学業に付いていけなかったというわけではない。
なぜ、中退したかというと、今でも理由ははっきりしないのだが、学校に通えなくなったのだ。その後が大変だったので、そのときの状況を記したい。

高校を辞めた理由

自分が属する団体でないような気がしたこと

何も考えずに、工業高校に進学した。

高校に入りたての中間テストでは、なぜかクラスでトップだった。中学の頃はトップなんて取ったことなんかないどころか、成績は下から数えた方が早かった。それが一躍トップになったのである。

中学は地域ごとだから勉強ができる者もできない者も一緒に通うことになる。しかし、高校はランク制だ。工業高校をバカにしているわけではない。たまたま私の入った高校がそうした程度の高校というわけで、中学の頃は、下から数えた方が早い私の成績でもこうしてトップになれてしまった。

となると、どうも落ち着かない。私の属する集団ではないような気がしてしまったのだ。
と同時に、成績が下がってはいけないというプレッシャーをひしひしと感じ始めた。

バスで先輩から注意を受けたこと

それに追い打ちをかけたのがバス通学での出来事である。出来事と言っても大したものではないのだが、高校生の頃というのは、1歳、2歳の違いが天と地を分けるかのように感じるものだ。

先輩風をふかすやつなんかどこにでもいる。

バスには後方に上級生が、前方には下級生が座るというルールがあったらしい。そうであることを知らなかた私は、後方に座っていた。

あるとき、隣に座った上級生が「俺が1年のときには後ろには座らなかったんだが、最近の1年ときたらなめやがって・・・」などと話始めた。

今から考えると、本当に馬鹿らしい話だが、それを聞いた私は恐怖におののいた。バスに乗ることが嫌でたまらなくなってしまった。

そうこうしているうちに、学校に行けなくなった。これらのどちらが主な理由かは分からないが、今から思うと精神的に参ってしまっていたのだ。

高校を中退する理由を考えた

私は、その後、学校に行かない理由を考えなくてはならなかった。何もなくて通学しないことは、今でこそ、「登校拒否」とか、「引きこもり」とか言って市民権を得た言葉があるが、当時は、そんなものはなく、学校に行かないという選択肢などはなかったからだ。

そこで考えたのが、普通高校に行きたくなったからというものだった。別に普通高校になんか行きたくなかったが、兎も角今の状況から逃げ出したかった。

こうして、中学浪人をするために高校を辞めるということにした。辞めるのはスムーズだった。私の成績から言って、誰もが納得した。

高校を辞めた後が大変だった

無事に高校を辞めることはできたが、それからが大変だった。先ず、中学の先生に事情を話して再度、書類を揃えてもらった。

次に、勉強である。勉強をするはずであるが私は全く勉強に手が付かなかった。辞めた理由が今から考えると精神的なものなので、勉強なんかする気がなかった。

何もしていないと、恐怖感と、いたたまれなさが襲ってくる。加えて、昼間は、「皆、元気で通学しているんだろうな」と思うと、罪悪感、疎外感、焦りを感じて、精神的な苦痛は頂点に達した。

夜は、皆、家にいると思うと安堵するのだった。昼夜逆転になる者の気持ちが良く分かる。そうした精神的なプレッシャーから昼間に起きて居られなくなるのだろう。

昼間は、そうした苦痛が大きいので、私はアルバイトをすることにした。何もしないといたたまれないからだ。本当の中学浪人なら、自分のやることは勉学だと思うだろうが、私の場合はエセ中学浪人なのでそんなことは微塵も思わなかった。兎も角、そうした恐怖から逃れる手段として、何かで時間を潰すことを考えるしかなかった。

アルバイトは雑品屋である。雑品屋なんて言う言葉はもう死語かも知れないが、要はちり紙交換である。トラックに乗って一軒一軒、個人の家を回って、古新聞、古雑誌、空き缶等を集めてくるのだ。で、この会社はちり紙と交換するのではなく、現金と引き換えにしていた。今でも思い出す。「新日本リサイクルセンターと申します。ご家庭に古新聞古雑誌はないでしょうか。あれば現金と交換いたします。」などと言っていた。

高校1年生で16歳だったが、中卒の18歳と偽った。3人一組で回っていた。あるとき、運転者のオジサンから、売り上げの集計を頼まれた。緊張しながらやっていたので、計算を間違えたときに「やっぱり中卒は」という言葉が身にしみた。

仕事で気は確かに紛れるが、楽しいものではない。高校を中退してやむを得ず、時間つぶしで働いていて楽しい訳がない。

何とか、時間を潰すことができたものの、悶々とした中、受験の日を迎えた。公立高校の最低ランクの普通高校であるが不思議と合格した。

普通高校入学後もいじめがあった

その後も大変だった。同級生は皆、1歳年下なのだ。1年生の最初の頃こそは「先輩」とか言ってたやつらも、時間が経つと、当然そんなふうには接して来ない。それどころか、1年喰っていることをネタにバカにしてくる。大人なら1歳2歳差なんてどうでもないと思うが、高校生のときはそうではない。ただでさえ、「こいつら年下のくせに」と思っているやつらからバカにされるということはキツイ。しかし、笑ってこれに耐えるしかなかった。

もう、退学するという伝家の宝刀は使い切ったからだ。

先生方の態度もひどかった。1歳違うということを、あたかも問題児のように扱った。それに対しても何も言い返せなかった。

こうして高校の3年間は針のむしろだった。ただでさえ大変な高校生活の上に1年遅れという十字架が架せられたのだから、苦しいことこの上なかった。徹底的にバカになりきることで何とか過ごしていたが、心穏やかではなかった。

学校から帰ってからは中学と同じく精神的に疲れてしまい、勉強どころではなかった。
学業がおぼつかないという負のスパイラルもそのままだった。

まあ、高校卒業後は何とか入社して現在に至っているが、別に、今の会社は転入学しなくても入れたはずだ。

高校中退は回避できなかったのかとは良く思う

精神的に参っていたことは確かだが、今にして思うと最初の工業高校に行っていたら、成績優秀の模範生徒で3年間を優雅に過ごすことができていたと思う。

果たして中退はもしかしたら逃避だったのではないかとも思っている。もしも逃避だとするとその後の大変さは、自業自得なのかも知れない。

そう考えるときもあり、その後はどんな大変なことがあっても「逃避」ではないかと思いじっと我慢をする癖はついた。それが高校中退のメリットだったのかも知れない。

でも、このように大変になるので、可能であれば高校は辞めない方が良い。

話はここで一旦終わるが以下で書いた、いじめがあるなら通学はしてはいけないという趣旨と今回の話は祖語するような気がするので若干補足するが、ひとことで言うと「学校に行けるのなら行った方が良い」というのは事実だ。また、義務教育と高校は違うということも言える。