「なぜ日本の病院は、患者をこんなに待たせても平気なのか」というコラムが週刊現代8月11日号の連載に載っているらしい。ネットではこちらである。
病院で待たされることに対する不平不満だが、仰ることは尤もで、私も患者の立場なので同意するところである。患者としてはできれば行ってすぐに診てもらいたい。長く待たされるのは絶対に嫌だ。それは当然だ。
でも、でもですよ。そうした意見を言うことは自由だけど、言ってどうなるものでもない。病院で待たされても腹が立たなくなる方法は、現実の解決できない不平不満を言うのではなく、例えば長く待っている間に有意義なことができないかなどを考えて行くことだ。
以下、病院側の意見に聞こえるかも知れないが、週刊現代の論旨がどうも理屈から離れているように感じられるので、若干の意見を述べたい。
目次
病院の待ち時間に対する週刊現代の不平不満に疑問がある
伊集院氏は、目の治療のため診察に訪れたところ、いつまでたっても受け付け番号を呼ばれず、結局1時間45分も待たされたという。
確かに長いですね。でも家でテレビを見ることを思うと、この間、読書でもしていれば良いのではないでしょうか。
さらに火に油を注いだのが、受付の事務員や医師の不遜な態度だった。待っている患者たちの目の前で、受付の若い女性事務員は笑いながら話しているし、診察に当たった医師は「暑い折に、長い時間お待たせしました」の一言もなく、人として当然の気遣いすら見せない。
たまたま、受付の方が話しているのを目にしたと思うのですが、受付の方同士で話してはダメということもないですし、私語が多いと感じたなら、それとなく病院側に注意を促せば良いのでは。医師がこのように行ってくれたらそれはありがたいですが、医師は患者がどれだけ待っているかに注意するのではなくて、医業にこそ注意を向けてほしいですね。まあ、二者択一ではないので、両者に注意が行くことが望ましいですが、高望みな気がします。
やっと診察室に辿り着いたと思ったら、わずか2~3分で診察は終了。会計でまた長時間待たされる……。そんな状況に多くの患者はイライラしている。
1~2時間待たされた挙句に2~3分の診療では間尺に合わないと感じているようですが、待ち時間と診療時間の因果関係ってそもそもないのではないですか。何時間待とうが必要な診療時間しか時間をかけないのが当たり前ですよね。1時間待ったら、1時間の診療をしてもらいたいということですか。
だが、少しでも文句を言おうものなら「モンスター患者」扱いを受け、まともな診療すら受けられない。およそ世間一般の常識とはかけ離れた価値観が支配する空間――それが病院なのだ。
いや、文句を言うのは自由ですけれど、だから、どうすれと言うのですか。あなたを優先してくれと言われてもそれはできませんよ。今後、善処するという逃げ言葉で終わって何が悪いのですか。それ以上の主張はモンスター以外の何者でもないのではないですか。
都内の総合病院に勤務する内科医は、悪びれる様子もなくこう語る。「患者さんが多すぎるので、時間がかかるのは仕方がないんです。救急患者が運ばれてくることもあるし……。
診療に当たっているお医者さんに言ってもどうしようもないでしょう。そのお医者さんが診療体制を決めているわけではないのですから。
こっちも一生懸命やっているんですけど、一人一人丁寧に説明していると、ますます時間がかかってしまう。熱心な医者ほど待ち時間が長くなるというジレンマもあります」
仰るとおりです。大変なのはお医者さんですよ。もっと待ち時間が増えても良いのなら、必要以上に懇切丁寧に話しますよ。患者としても何を聞きたいのか要点をまとめておくべきです。
OECD(経済協力開発機構)のデータによれば、人口1000人あたりの医師数は日本が2.4人なのに対し、ドイツ4.2人、フランス3.4人。日本は一人の医師に対して、患者数が多いのは事実だ。しかし、それを踏まえた上で、患者を待たさない努力を病院がしているかといえば、疑問符が付く。
一人あたりの国レベルの患者数を出しておいて、急に個々の病院の話をするのは論理が飛躍していないですか。国レベルの話をしたのなら、国レベルでどう考えるかを議論するべきではないですか。国の施策のつけを個々の病院に転嫁してもどうなるものですかね。
『「いい病院」「悪い病院」の見分け方』の著者で、病院のコンサルティングも行う武田哲男氏は「そもそも病院には『サービス業』という視点が欠如している」と語る。
病院のサービスとは何ですか。優しい言葉を言うことですか。私はそうは思いません。病院のサービスとは適切な医療を提供することです。美辞麗句を並べることではありません。
結果、その怠慢が「患者を待たせることの何が悪いのか」「待つのが嫌なら来なくていい」という上から目線の医師を生んでいる。一方で、米国や欧州では日本のように待ち時間が長い病院はほとんどないという。
先のとおり、欧州では国当たりの医師数が多いのだから当然ですよね。日本も医師の数を増やせばそうなるのではないですか。尤も、そのときは社会保険料はバカ高くなっているでしょうけれども、それを「良し」とするならどうぞ仰ってください。
「フランスやドイツでは、ホームドクター制度といって、まずは『かかりつけ医』に行って、手に負えない場合に限り、紹介状を書いてもらい大病院を受診できるシステムになっているので、日本のように患者が一つの病院に集中することはありません」(東京放射線クリニック院長の柏原賢一氏)
日本の医療は、自由にどこの病院にもかかることができることを誇っているのではなかったでしたっけ。それを止めますか?
最近では来院の際、受付でQRコード付きの整理券を配付し、スマートフォンで読み取ると、リアルタイムで自分の待ち時間がわかるシステムを試している病院もある。
これには全面同意ですね。
少子高齢化が進み、患者の取り合いが起こり、経営が立ち行かなくなる病院も増えているこの時代。「患者は待たせて当たり前」「ほっといても患者は来る」と考えている病院は、間違いなく淘汰されていくだろう。「週刊現代」2018年9月1日号より
あれ?「ほっといても患者は来る」と考えている病院は、患者が来ているから待ち時間が長いのですよね。経営が立ち行かなくなる病院は、患者が来ないので待ち時間は短いですよね。う~ん、待ち時間だけを考えると「ほっといても患者は来る」と考えている病院の方が人気があるような気がしますが。
病院の待ち時間をなくするためにはどうすれば良いか
なぜ待ち時間が生じるかを良く考えなければならない。まず考えられることは医師の絶対数が当該病院では不足していないかということである。患者数に対する医師数であるが、病院としてはこれはできるだけ医師数を減らしたいと考えるだろう。同じ患者数であれば医師数が少ない方が経費がかからないからだ。ただ、この辺りは病床数等での基準があると思うので基準内ということではあると思うし、また、外来患者については一日でこなせないなら医師の勤務時間の問題も出てくるので、一日でこなせるだけの医師数は確保されているものと思う。
とすると、問題は、患者の病院へ来る時間の偏りではないだろうか。混む時間と混まない時間があるということではないだろうか。
とすると、予約システムなどをきちんと構築する、混み具合をAIで検知して、待ち時間を算出して患者に周知するなどで、長い待ち時間を回避することはできるのではないだろうか。
病院の待ち時間はどうすれば良いか
病院で待たされることに腹を立てても現実的にはどうしようもない。一日の患者数が時間によって偏っているだけであれば、何ら解決策はない。空いているタイミングに通院するだけだ。
待ち時間が長いと文句を言ってみたところで始まらない。立てた腹の置き場所がなくなり、結局は自分が損をする。無いものねだりをするのは不満が募るだけで精神衛生上も良くない。
解決策は冒頭書いたとおり、病院は待ち時間があるものと最初から考えて対策をしておくことだ。私は、通院先の病院ではそこに置いている週刊誌を読むのを楽しみにしている。この週刊現代もきっと置いていることだろう。ゆっくり見たいと思っている。
それでも時間が余ったときには、文庫本を持って行き読んだり、スマホを眺めたりしている。1時間ぐらいならすぐに経ってしまう。
早く帰っても家でテレビを見るだけなら、そんなに急ぐ必要はない。待ち時間を有意義に過ごした方が余程ためになる。
まとめ
冒頭のとおり、私も患者の立場なので待ち時間は無い方が良い。でもだからと言って、患者はお客様だから神様なんだ、病院はサービス業として分をわきまえろという意識もどうかと思う。立場の違いで文句を言い合うのではなく、互いに良い方向に向けて考えて行くことこそが大事なのではないだろうか。