愛読しているブログのうち、ふたつのブログでブログ主の妻が亡くなっている。二人ともその悲しみをブログに綴っているのだが、その気持ちが痛いほどよく分かる。
世間には配偶者と離婚したくてもできずに、相手が先に逝くことを願いながら、ずるずると生活している人もいるらしいが、全く理解ができない。
今、妻に先立たれたらいったいこの先どうしようかと思ってしまう。
一般的に言って、女性の方が長生きだ。世の中はそれに合わせて、女性は夫が先に亡くなても生きていけるように女性は強くできているように感じる。
確かに夫に先立たれた場合、そりゃあ悲しむだろうが尾を引かないように見える。
蚤野の母親が夫(蚤野の父)に先立たれたときは、ぜんぜん悲しがっているようには見えなかった。悲しみを表面上出さなかっただけかもしれないが、介護から解放されたホッとしているっかのように見えた。
それまでは、夫べったりで、何かにつけて夫に干渉していたのだが、まるで手の平を返したかのようだった。
でも、残された人はそれで良いと思う。いつまで経っても傷が癒えないのなら生きていくだけで苦痛となる。
そう、残された人にはその後の人生が待っているのだから。
ところが男は違う。配偶者と別れたがっているような男は別かも知れないが、普通の男は妻に先立たれると、その後、右往左往してしまう。
今、蚤野の妻は健在だが、先立たれることを想像すると五里霧中となっている蚤野の姿が現実として見えてしまう。
そりゃ、若いころは、もしもこの妻がいなかったら、こちらの女性とこうなってなどと妄想したこともあったが、今は昔の話である。
炊事、掃除、洗濯をどうするか。食事はどうやって作るかの現実的な問題ももちろんあるが、それにも増して妻がいなくなると、一緒に吸う空気がなくなる。
そして共に過ごしたその空間がなくなるのだ。
苦しみを背負って生きて行かなくてはならない人生となることは目に見えている。
そうなったら、妻との思いでが残るこの家には住みたくないので、それこそ海外にずっと行っているのかも知れない。
改めて、妻を大事にしようと思う次第だ。
ところで、こないだ妻は「65才になると生命保険の掛け金が高くなるけど掛けて行かないとね」とつぶやいていた。待っているのかも知れない・・・・・・・。