地域が助け合う「地域共生社会」を実現するためにはどうすれば良いのだろうか

「地域共生社会の実現に向けて(当面の改革工程)」という文書が平成29年2月に厚生労働省から発出された。地域共生社会の実現をコンセプトとして、いくつかの法整備を通じて更なる改革を行うというものである。具体的に見ていきたい。

地域共生社会とは何か

これによると、地域共生社会が求められる背景としては、その昔は地域や家族同士の助け合いで様々な課題を解決してきたが、近年は、核家族化、共働き世帯の増加、人口の都市部への集中、個人主義などにより、そうした助け合いの役割を行政が担わなくならなくなってしまった。しかし、そうした行政の支援は縦割りで整備されていることから、かゆいところに手が届かなくなっている。また、複数の制度を必要とする場合もあるし、そもそも人口減少により支援する人材が集まらないこともある。このため、公的支援の在り方を縦割りから丸ごとへと転換する必要があるというもの。

更に、つながりの再構築の必要性として制度が対象としない課題も出てきていることをあげている。例えば、社会的孤立の問題や身近な生活課題(電球の取り換え、ごみ出しなど)のことであり、制度の狭間も問題視されている。

こうした課題はかつては地域や家族の間で解決できていたものであるがこうしたつながりが弱まっていることから、今一度地域でできることを見直そうというものである。

改革の骨格

以下の4点を改革の骨格としている

1.地域課題の解決力の強化

○ 住民が、主体的に地域課題を把握して解決を試みる体制を構築していく。
○ 分野を超え『丸ごと』の相談を受け止める場を設けていく。
○ 多様・複合的な課題について、福祉分野だけでなく多機関が連携し、市町村等の広域で解決を図る体制を確保する

2.地域丸ごとのつながりの強化

○ 地域の支え合い活動へ関わる人材の育成を促す。また、地域の民間資金の活用を推進する。
○まちづくりなどの分野における取組と連携し、人と人、人と資源が『丸ごと』つながる取組を支援する。

3.地域を基盤とする包括的支援の強化

○ 地域住民による支え合いと公的支援が連動し、地域を『丸ごと』支える包括的な支援体制を構築する。
○ 人口減少など地域の実情に応じて、制度の『縦割り』を超えて柔軟に必要な支
援を確保することが容易になるよう、事業・報酬の体系を見直す。
○ 保健分野について、その支援体制を強化するとともに、福祉行政との連携を緊密化する。

4.専門人材の機能強化・最大活用

○ 「地域共生社会」を実現していく上では支援をしていく人材が一層重要となる。
○ 人材の有効活用を図る観点から、専門人材を養成していくことが必要である。
○ このため、各資格の専門性の確保に配慮しつつ、養成課程のあり方を『縦割り』から『丸ごと』へと見直していく。

以上が要約である。あくまでも意訳であることは断っておく。

わざわざ「地域づくりの取組は地域における住民相互のつながりを再構築することで生活に困難を抱える方へのあらゆる支援の土台を作るためのものであるが、これにより市町村や公的支援の役割が縮小するものではない。」との断りを入れている。これは額面通りに受け取ることはできない。わざわざ、こう念を押さなくてはならないのは、「この取組によって行政の支援が先細りするのではないか、何が何でも地域に責任を押し付けるのではないか」という疑念を払拭させるためのものである。確かに行政の役割は縮小はしないだろうが、内容、程度はどうなのだろうか。

当面の改革工程の目的は何か

ざっくり言うと、「昔に戻って地域で支え合おうよ。そのための支援や環境整備をして行くよ」というもの。

面白いのは昔に戻るのであれば地域ではなく家族のはずであるが、最初に家族のことは触れていてもいつの間にか、地域に対してのことになっている。その昔のことであれは大家族制に基づく相互扶助を抜きにしては語れないはずである。

家族と言ってしまうと、個々人の考え方を制限する可能性が高いからなのかと思う。皆で助け合おう、3世代、4世代同居しようと謳ってもそれは個々人の事由であり、政府が関与すべきことではないと一笑に付されてしまうからである。だから、家族とは言わずに地域と言っているものと思う。

例えば、介護保険を例に見ると、核家族化が進み介護を担う者がいなくなり社会問題化して介護保険制度が導入された。しかし、高齢化の進行で介護保険財政が逼迫してきた。と言って制度をなくすわけにも行かない。ならば制度を利用する人を少なくすれば良いわけであり、そのためには昔のように助け合う人が増えればそれで良いわけである。

助け合う土壌ができれば、少しでも財政負担が軽減されるのではないかということだろう。確かにそのとおりと思う。

地域共生社会の考えはとても良い。何でもかんでも公的扶助に頼るのではなく自分たちでできることは自分たちでやる。当然のことである。地域はそうしたことができる人達が大勢いるのだから、地域の力を引き出す応援を行政がするというのはとても理に適っている。

地域共生社会の担い手の地域は担うだけの力はあるか

このように国は「地域共生」を謳い地域住民の助け合いを促しているが、地域ではそのような助け合いを行うことができるか。答えはYESである。地域はそうしたことを成し遂げる力は持っている。地域には色んなスキルをもった立派な人達が大勢いるし、スキルはなくとも誰かの役に立ちたいという人も大勢いる。

しかし、現状ではその力を発揮することはできない。なぜならば司令塔がいないからである。皆、同じ立場のボランティアであれば指揮命令が成立しない。いくら役割で立場を変えているかのように見えても実際には同じ立場なのである。

役所が司令塔になれば良いと考えるかも知れないが、そうはならない。
役所は地域に対して(の人々に対して)、まるで腫れ物に触るかのように接する。何せ相手は無報酬で働いてくれる奇特な人達だからだ。機嫌を損ねてはならないのだ。

推測であるが、過去の忌まわしき歴史から行政が地域に積極的な関係を持つのを躊躇してしまっているのではないかとも思う。

行政がせっかく手出しをする範囲を狭める趣旨からも逸脱する。

次に、ボランティアという落とし穴がある。責任がなく緊張感に欠けるのだ。何でこんなことまでボランティアでやらなくてはならないのだとなる。つまりは、こうしことはボランティア精神で成り立っているという現状を変えなくてはならない。当然のことをしている、これが義務なのだという意識にまで変えなくてはならない。こうした意識を変えるのは容易なことではない。

地域共生社会の実現にはシステム構築が不可欠

このように意識の変容が必要だが、そう簡単には行かない。意識が変わらないなら変わらなくても地域が力を発揮することができる仕組みを作らなくてはならない。それは何であろうか。

例えばボランティア通貨というのはどうだろうか。ボランティアをすることにより一定の通貨をもらえるようにしてその通貨は一定の用途に使えるようにするもの。ただし、現金化はできない。現金で買うことはできる。一種の商品券のようなもの。その範囲においてはボランティアではなくなる。既存の取組はあるが機能しているとは思えないので再構築をすることだ。

キーワードは町内会である。地域共生の主体は町内会だけではない。個人、さまざまな団体がその構成員となる。しかし、その中でも住民の生活向上を目指す目的がある団体は町内会しかない。町内会をその他の団体と十把一絡げにしてはいけない。裾野を広げる意味で町内会以外も含めて多くの団体に担ってもらおうとするが、町内会こそ、その主体となるべきであり、そのための特別な扱いが必要となる。

民間企業の活用も考えられる。今のように企業のボランティアではなく、実益があがるようにして参加企業も増やす方向とするのが良い。

まとめ

地域共生社会は充実させなくてはならないが課題山積みである。役所のありがちなことだが、掛け声だけをかけてあとは野となれ山となれでは困る。地域が動けるような、きちんとした具体的な事柄を、行政と地域住民が互いにWIN-WINの関係となるように構築して行かなくてはならない。