平成もいよいよ終わる。来年の4月以降は天皇退位に基づく新たな元号となる。
この元号制度ができたのは大化の改新以降で、天皇は時をも支配するとの考えで作られたらしい。
近年も、明治、大正、昭和、平成とたった100年ちょっとで4つも元号が変わった。
様々な不自由があるこの元号使用について、このまま使い続けることが正しいのか、改元予定を契機に考えてみた。
目次
元号使用の何が不自由なのか、問題なのか
元号は日本人が日付を表すときに常識的に使ってきた。国民や官公庁の9割近くが使っているという現状がある。
何が不自由なのかは、まず、単純な引き算では期間計算ができないことが挙げられる。年齢計算を行うときなどは、結構頭を使わなければならない。不自由を感じたことのある人は多いのではないだろうか。
次に、中途半端に西暦表記が多く、まぎらわしいことである。最近はなぜか西暦表記も結構目にするようになった。元号使用がグローバルで見た場合に一般的でないことや期間計算で不自由なためであろうと思うが、官公署を含めて結構西暦表記が使われている。官公署については西暦と元号表記なのでそれほど困らないが、困るのは新聞である。単に数字で年を表す場合が結構あり、それだと平成なのか、西暦表記なのかが分からない。文脈から判断することになるが、ぱっと見では分からないということも多く、やっかいだ。
元号をあなたが使わなければいいだけじゃないかと言われるかも知れないが、それは違う。一般私人が能動的に使うことは殆どない。何かに記入するにせよ、既に与えられたものに記入するなどで使わされているのだ。
そして、既に使っている元号を読まされているのだ。
法的根拠はどうなっているか
元号に関して言及している法律は1979年に制定された元号法がある。これは、元号の法的根拠を定めたものであって元号を使うことを目的に制定されたものではない。その他、日本国憲法を含めてどこにも元号を使わなくてはならないと明記されているものは「ない」。国民や官公庁に対して元号を使用することを強制する法的根拠はどこにも存在しないということである。官公庁の使用も慣行で行われているものであるし、政府の見解も、元号使用は国民への協力を呼びかける程度にとどまるとしている。
それにも拘わらず、9割近くの国民、官公署が使っているのである。
面白いことに、共産党系の新聞赤旗においても西暦表記ではあるが元号が使われている。兎も角日本人には元号使用が浸透しているという現実がある。
元号使用の不自由さの解決策は何か
天皇制や1天皇1元号制を改めなければならないと言っているのではない。まあ、そうした論調の人もいるだろうが私はそうは思わない。良くも悪くも日本は象徴としての天皇がいて、1天皇1元号制となっているのだから。
私は「象徴元号」という考えがあっても良いのではないかと思っている。これは何かというと、今までのように1天皇1元号制として元号を制定はする。しかし、それを現実の用途として使わないということだ。現実には西暦表記を使うということだ。現在の西暦表記を、もっともっと推し進めるべきということだ。
現在の天皇は政治を行う権限はない。あくまでも日本の象徴としての存在である。存在自体が象徴というなら、元号についても現代を象徴するものとして、それ以上に実益をもたないものとすれば良いという考えである。天皇の通称名のようなものと考えれば分かりやすい。
つまり、元号は時代を表すという実益の存在を否定して、時代を表す表記は西暦1本にするという考えである。