キラキラネームの弊害が言われだしてしばらく経つが、依然としてキラキラネームを目にすることが多い。今一度、キラキラネームは絶対に良くないということを知ってもらいたい。
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なぜ、親はキラキラネームを付けるか
子供の名前を付けるときに親は迷う。名前を付けるとその名前で人生が変わるように思ってしまうからだ。
そして、親は子供に希望を託して名前を付ける。自分の子供は平凡ではなく、他の子とは違った煌びやかな存在であることを願う。このとき、非凡なことが良いこと、平凡なこと悪いことと考え、個性的な名前でなくてはならないと考える。
「珍しい名前だとすぐ覚えてもらえる」と考えるかも知れない。確かにそうかも知れないが、だからどうしたと言いたい。否定的な見方ですぐに覚えてもらっても意味がない。
その名前を使うことになる子供の立場など一切考えない。
キラキラネームは子供が損をする
キラキラネームを見た者はどう思うか。素晴らしいと思ってくれるのはあなたと同じ頭の構造の人のみ。絶対的に少ない。殆どが、「あれ、まあ」と思い、半ば嘲笑に満ちた表情をするだろう。
具体的には、まず、就職で不利に働く。 その人の親はどんな人だろうかと思う。子供のことを考えない自己中の人と思う。そんな親の子供がどんな人なのかは自ずと想像できるというもの。その結果、不採用となる。この理屈は私が考えたことではない、ある週刊誌の受け売りである。普通の企業人、大方の面接者はそう考える。個性的な名前で国語能力があるなどと考える面接者は皆無と思ってもらいたい。
キラキラネームだからという理由だけで婚約を解消された人もいるらしい。
キラキラネームは子供が苦労する
私の名前は、キラキラネームではないがキラキラネームと共通する変な名前だ。読めないだけでなく、そのままで宗教を連想せる名前なのだ。宗教の勧誘者は異口同音、「良い名前ですね」とおせじを言う。
でも、私は宗教は大嫌いだ。信念に反する。名前を見るたびに、宗教を強要されているようで本当に違和感を持つし、精神的にも苦痛だ。
読めないことに関しても、相手が読めないから、こうこうこうこの漢字でと説明することになる。そのたびに、説明の労力だけでなく、精神的苦痛が発生する。
名前を変えたいが、裁判所の許可が必要でとても難しいらしい。もしも許可を得れるとしても生まれてからこの名前なため、名前が変わったとしたときを想像しても、それはそれで違和感がある。変えるも地獄、変えないも地獄なのだ。この思いはもう誰にもさせたくない。
通称名を使えば良いのではないかと思うだろうが、作家でもなければ通称名なんか使う機会などありゃしない。仕事関係では戸籍上の名前を使わなくてはならないし、せいぜい通称名を使えるのは国内旅行や趣味のサークル程度。
キラキラネームを付けたがる親は、子供は人生で何度名前を聞かれるかを理解していない。 このように、その都度、ああでこうでと説明をしなくてはならない。子供は、その都度、何でこんな読めない漢字を当てたのかと親を恨むようになる。あなたは、子供に恨まれても良いなら、キラキラネームを付けなさい。
どんな名前の付け方が良いか
画数を重要視することも止めたい。画数で人生なんか変わらない。画数が重要視されるなら外国人の名前はどうなるのか。
読みやすく、書きやすく、分かりやすいこと、子供にとって愛着がある名前となることが重要。 尤も、生まれたばかりの子供に聞くことはできないので、自分がその名前を付けられたときにどう思うかで判断することになるだろうが。
きらきらネームを付けたいなら、おじいさん、おばあさんなど、身内に相談することも良い。親身に相談に乗ってくれるだろう。
結局、平凡な名前になってしまうのではないか、と言えば、その通りで、それで良い。
ただ、太郎、花子、梅、キク、サクラなども付けてはいけない。言わずもがなかも知れないが、古臭く、今となっては変な名前となるからだ。
まとめ
名前は個人を特定する記号にしか過ぎない。名前で人生が変わることなどありゃしない。いや、ごめん、前言撤回。キラキラネームなら悪い方に変わることになるだろう。
キラキラネームを付ける親は、実際に、その名前を付けられたことがないから、そうした名前がどれだけ後から大変になるかは想像が付かないと思うが、良く想像してほしい。
重ねて言う、キラキラネームは親の自己満足に過ぎない。キラキラネームだけに限らず、兎も角、変な名前は子供が苦労することになるので親は絶対に付けてはならない。