インド旅行記、不思議の国のインド(四日目)

インド旅行記4日目(デリー駅付近を探索)

能天気になって客引きのいうままになる


夜8時半に空港までの迎が来ることになっている。それまでは、丸1日使えるので、デリー市内を回る予定にしていた。デリーの地下鉄は殆どが地上を走っていると聞いていたので、来る前は適当に地下鉄に乗って車上から観光しようと思っていたが、地下鉄が非常に混雑していることは前日で分かっていたのでそれは取りやめた。

ホテルのチェックアウトは12時。6時頃に戻ってきてロビーで迎を待とうと思ったが、それだと朝から6時までどこでも休めずに歩いていることとなる。適当な時間にホテルに戻っても部屋はない。体力的にどうかと思ったのでチェックアウトを遅くしてもらうことにした。追加料金は1000ルピーぐらいかなと思っていたが1500ルピーとのこと。夜8時であっても6時であっても同額で、8時を過ぎると一泊分が丸々かかるという。背に腹は替えられないので承諾。

駅周辺やコンノートプレイスは半径1キロ圏内であり、結構見応えがありそうだったので、その辺りをぶらつくこととした。

まず、地下鉄でKarol Bagh駅から二つ目のRamakrishna Ashram Marg駅に行くこととした。トークン(切符)を買おうと地下鉄の窓口に並んだ。チケット売りはターバンを巻いたシーク教徒の若いお兄さん。何も言わずにトークンを投げて寄越す。窓口に並んだ乗客は何事もないかのように投げられたトークンを受け取っていた。日本でこんな対応なら苦情の嵐だろう。

Ramakrishna Ashram Marg駅からNew Delhi駅までの間はバザールが開かれているので、降りて見てみた。時間は午前10時前だったので、まだ、開いていない店が多く、それほど混んではいなかった。20分ほど歩くとNew Delhi駅に着いた。朝のNew Delhi駅のホームで一休みし、そこからコンノートプレイスへ行くこととした。一本道を進むとおよそ700メートルほどコンノートプレイスに着くので非常に分かりやすい。地図を確認して、いざ、歩くと駅の横で誰かに腕をつかまれて「どこへ行く」と言われた。駅の横を抜けて真っ直ぐに行くと駅の二階に進む道になっており、駅の係員が親切にも「そっちは違うよ」という意味で呼び止めてくれたものと勝手にそのときは解釈してしまった。

コンノートプレイスに行くというと、そいつは「コンノートプレイスに行くと政府がやっている案内所があるので、そこでは無料で地図が手に入る。観光の相談もできるので是非行くべきだ。確かにこの道でそこには行けるが、この道は危険だ。うそつきがたくさんいるし、泥棒や強盗がいる。絶対危ない目にあうので、俺が、リキシャに10ルピーで交渉してやるから、リキシャを使うのが良い」と地図の公営観光案内所の場所を指で示しながら教えてくれた。いやあ、親切な人だなと能天気に思った。自分が道を間違えていたのを駅係員が教えてくれたばかりか、有益なアドバイス、リキシャの値段交渉までしてくれたと思った。インドは何て良い人がいるんだろうと能天気にも思った。

そいつは、リキシャに声をかけ10ルピーでと交渉し、政府の案内所へと向かった。すぐにコンノートプレイスに着き、案内される建物の前に来た。えっ、ここが政府の案内所?小さな建物で入り口もすごく狭い。あれ、おかしいなというアンテナが立ったが、なぜかそのまま入ってしまった。店の中もせまく、何人かの先客がいた。パンフレットや無料の地図など置いている様子はなく、こちらへと別室に案内された。別室とは言っても机一つがやっと入るという感じの狭い場所で40歳ほどのインド人が座っていた。そいつは、「まあ、座れ」と椅子を進めてくるが、ここは怪しいと感じていたので、すぐに出れるように座らずにそのまま立っていた。何日滞在するのかなど聞いてきたが、俺は「今日、直ぐに帰る。地図はどこか」と聞いた。すると、そいつはまた「まあ、座れ」と言ってきた。怪しいことこのうえないので、無理くり帰ることとした。すんなり帰れず、軟禁されるのではないかと思っていたが、一瞥もせずに出口に向かうと、予想に反して誰も何も言わず外に出ることができた。おそらく、ここがかの有名な悪徳旅行社のひとつで、カモることができると知ると、色々と高いツアーを組ませるのであろう。駅前にいたやつは、親切な人なんかじゃなく、俺の腕を捕まえたのは、単に騙して旅行社へ連れて行き、ぼったくろうとしたのだ。そもそも進行方向を間違えたかどうかなんて他人には分からないし、仮に親切な人がいたとしても声をかけるだろうが、腕をつかむことなんかないだろう。

こんなことがあっても能天気は続いた。ラッキーだったのはこの旅行社はコンノートプレイスのど真ん中に位置していたこと。自分がどこにいるかすぐに分かり、道に迷わないで済んだ。コンノートプレイスを少し歩いてみたが、どこもシャッターを下ろしたままで何もない。後で分かったのだが、時間がまだ早すぎたのだ。10時半ではまだまだ開いていないのだ。疲れたので、ベンチに腰を下ろしているとまた声をかけてくるやつがいた。「この辺りはみんな閉まっているよ。開いているショッピングモールを知ってるから教えてあげるよ。リキシャで案内するから。」親切な人だ。このあたりに見るところはないので、今やっているモールまで案内してくれるというのだ。100メートルぐらい付いて行く。道中、自分はネパールから数年前に来たとか言っていた。ここでもリキシャと交渉してくれて10ルピーで目的の場所に行くことができた。ここだと言われて降りたところが、さっきの旅行社と同じくらい小さな店舗。店先には像の置物がおいている。これがショッピングモールか。そんなはずはない。ただのボッタくり店だろう。すかさず危険のアンテナが今更ながら反応した。入らないでいるとリキシャの男が「見るだけ。見るだけ」と日本語で言って来る。「いや行かない」と断って歩き出そうとしたら、まだ叫んでいる。と、ここで気が付いた。ここはどこ?コンノートプレイスからそう離れてはいないはずだが、どっちに行けば良いか全く分からない。どこをどう歩けばコンノートプレイスに行くのか、皆目見当が付かない。仕方ないので、リキシャに「コンノートプレイスの地下鉄のところまで10ルピーで連れていけ」と言った。リキシャの男は何やら叫んでいたが、諦めたのか乗せてくれた。地下鉄駅に着いて、10ルピーを渡そうとしたが、細かいのがなかったので仕方なく20ルピーを渡し、降りようとしたら男は「これじゃ足らん」と言い始めた。頭に来たので「10ルピーと言ったろ」と怒鳴って降りたら、追ってはこなかった。

客引きをやり過ごす

能天気が2回続いたのである。もう正常化へのスイッチが入った。歩いているとまたもや声をかけてくるやつがいる。「どっから来たの」からはじまり「どこへ行くの」とかいろいろと聞いてくる。もう懲りたので相手にしないでやり過ごすも、しつこい。インドでは日本人はカモられるのでどこから来たと聞かれたら「タイ」と答えると良いとあるブログに書いていた。タイ人は殆どインドくんだりまではこないし、インド人はタイ語なんて話せない。日本人以外にはそんなにぼらないそうだ。
そこで、「タイ」から来たと言ってみた。これで金ずるにはならないと悟って帰ると思ったが、そうは問屋はおろさない。いくらでも付いてくる。曲がれば曲がったとこで付いてくる。400メートルぐらいはくっついてきたと思う。もういい加減に腹が立っていたところに、こともあろうに「my friend」と言ってくるではないか。これには切れた。こんなやつと友達になった覚えなどない。「I’m not your friend」「go away」と怒鳴った。当然、悪態付いてくると思ったが後ろで聞かれた言葉は「Have a nice day」そうか、Have a nice dayとはこういうときに使うのか。勉強になったって、なるわけないだろう。もう付いてくることはなかった。

ぐるぐる回っているとまた疲れたのでベンチに腰を掛けた。腰をかけるやいなや次の玉である。「どっから来たの」と聞くのですかさず「タイ」といおうとしたが、日本語の地球の歩き方を見ていてタイもないものだと思い、素直に日本からと答えた。こいつとはどうやってやり過ごしたかは忘れた。

次に歩いているとまたもや「どっから来たの」。18歳くらいの子供である。もういいかげんにすれと思い、英語も面倒になったので全て日本語にしてみた。一切英語を理解しないふりをして日本語で話した。会話ができないと思って諦めると踏んだが、「あんたの言葉わかんないんだよね。どこに行くかな」など適当なことを歩きながら独り言のように話した。しかし、こっちが日本語を一方的に話すなら、そいつは英語で一方的に聞いてくる。会話がかみ合わないなか、しつこい。いくら日本語で言っても英語で返してくるのみで正に「諦めませんボルまでは」である。そいつに400メートルぐらい付いてこられたが後は完全無視をしているといつの間にかいなくなった。

次に歩いていると、「wifi を使える所を知ってますか」と聞いてくる二人連れの女性がいる。もういいかげん、声をかけてくる人にうんざりしていたので「知らん」とだけ答えて立ち止まりもせずにやり過ごしたが、wifiなら自分も使いたいので、ちょっと聞いてみることにした。ここでも勘違いしたのは、彼女たちがwifiスポットを探していると勝手に思い、なぜ、旅行者に聞くのだろうかと思ったことだ。追いかけて、「誰かに聞いてwifiスポットを教えてくれ」と言ったところ、「ここでwifiが使える」とのこと。wifiスポットを探しているのではなく、旅行者にwifiが使えることを教えて歩いていたようだ。教えてもらったwifiは確かにwifiには繋がるものの、使うにはショートメールでの認証が必要で、ローミングの携帯の番号を入力したがメールは届かず、使うことができなかった。このメールは日本に戻ったときに届いたので確かにローミングは機能していたのだが、ローミングの携帯を海外で自分あてにメールを送るにはどうすれば良いのだろうか。

次に歩いていると物乞いの女性が子供を抱っこして、施しを求めてきた。この段では、兎も角、声をかけてくる輩は相手にしないというスタンスを取っていたし、歩くことを遮られるような気がしたので、相手にしたくなかった。なので、無視していると、この物乞いもしつこい。赤ちゃんがいるのと言いながらずっと付いてくる。ひたすら無視を貫いた。

次は、ベンチに腰をかけていると別の物乞いが寄ってきた。同じく赤ちゃんをかかえている。ゆっくり腰をかけていたので、英語は分かるかと聞いたうえで、写真を撮ることの許可を得て写真を撮り、子供の分と合わせて20ルピーを渡した。なぜ、あえて英語が分かるかと聞いたかというと、インドでは英語が通じない。前日、同じように写真を撮ってよいかと聞いて、了解を得たと思った物乞いはスマホを向けると嫌な顔をしたからである。そういえば、道行く人に場所を聞いたときも、列車待ちをしているときの清掃員に聞いたときも、通じなかった。なぜ、こちらの発音の問題なのではなく英語を理解しないと思ったかと言うと、英語を理解する人でこちらの発音が悪いときのリアクションは兎も角英語で何かを言ってくるので分かるが、英語を理解しない人はリアクションがないのである。きょとんとした顔で黙っているのみなのだ。前日のガイドが言っていたことは、英語を話すのはあくまでも英語を必要とする職業についている場合であって、普段はヒンディ語を使うので、普通の人は英語を話さないとのことであった。

インドは確かに物乞いが多いが予想よりも少なかった。前日のガイドは物乞いを否定的に見ていた。「障害者であればいざしらず、あいつらは真面目に働こうとしない。自業自得だ。働かず麻薬なんかに手を出して、勝手なことをやって子どもを作ってどうしようもない奴らだ」と言っていた。イスラム教を徹底的に嫌っており、「スラム街に住むこいつらはムスリムで最低のやつらだ。イスラム教は本当にどうしようもない」などとも言っていた。この運転手の車に乗っているときにも信号待ちで子供の物乞いが来て、何やらパフォーマンスをしてお金をねだっていた。

午後になると人が多く出ていて、歩いていてもあまり声をかけられなくなった。歩き疲れたので、Costa Coffeeに入った。マンゴジュースが135ルピー。500ルピーを渡すと小さい札を出せと言い、受け取らないので仕方なくなけなしの小銭で払った。ゆっくり休んでいると棚にコーヒー等が置いていて売っていたので土産に買うことにした。缶入りのお菓子数個と合わせて購入し、レジへ持って行くと値段は550ルピー。1000ルピーを渡すと今度も小さな札を出せという。ぎりぎり小さな札はあったが、細かなお金を持っていたかったので、買う品数を減らそうとしたら「OK,OK」というので、そのまま1000ルピーを渡した。それでお釣りは400ルピーしかくれない。待っていてもくれないので「1000ルピー渡したろ」というと罰が悪そうに50ルピーを戻してくれた。おい、お前もか、釣りをくすねようとしやがって。有名なCosta Coffeeでさえもそうだ。インド人は本当に信用ならん。KFCではお釣りは確認しなかったが本当に大丈夫だったのだろうか。

偽物を買わされる


コンノートプレイスには地下にバザールがあった。結構広くて人であふれかえっていた。観光客は良いカモらしく、いたるところから声がかかった。靴屋があった。インドで靴を買うのも一興かと思い寄ってみた。紳士靴はあったが見るからに安そうな作りである。値段を聞くと4500ルピー。こんな靴が日本円で1万円弱もするとはと呆れ返っていると、今日は特別と言い3000ルピーまで下げてきた。もう買う気もなくなっていたので、店を出かかると、後ろから1000ルピーで良いと言うのが聞こえた。まあ、利益も含めた適正な値段は恐らく1000ルピーなのだろう。結局買う気がなかったのでそのまま店を出た。

パソコン用品を扱っている店があった。32ギガのUSBが500ルピー、SDカードが300ルピー。値切ったら合わせて500ルピーになった。インドのこんなところでこんな値段で買えること自体が不思議で、もしかしたら偽物かとの思いがあったが、その思いは見事に裏切られなかった。帰国後使うも全く認識されない。複数のPCで試すもだめで、ひとつだけであれば、たまたまその製品の不良とも思われるがふたつ買ってふたつとも使えないのでは、初めから外側だけのまがいものと考えるのが自然だろう。

その他にも、小さなビニール製の人形を買った。これは売っているときは本当に不思議な動きをしていた。ひもでつるされているわけでもないのに、宙を舞うのである。空中で本当に踊っているように見えた。一か所目では本当に不思議だと思ってはいてもそのままやりすごしたが、しばらく行くと同じように売っている店があったので、「こんな安っぽい人形が本当に動くんだ」と思いほしくなった。値段を聞くと50ルピーといい、3個なら100ルピーで良いというので3個買った。ホテルに帰ってから見るとビニール製の人形は本当にビニール製の人形だった。電池が入るわけでも空気を入れて動かすわけでもなかった。お菓子のおまけに付いているようなただのビニール人形だ。何をしても動くことはなかった。
流石インド。

帰国


コンノートプレイス歩いていると、こんにちはと声をかけられた。全然気が付かなかったが、初日にタージマハルで会ったナナさんだ。体調を悪くしたといっていた友達も一緒にいる。本当に偶然だ。あの日、友達も回復して同じくアグラからの列車に乗ったとのこと。そのまま別れた。

朝食も結構食べて、昼食はKFC。お腹は空いていなかったので、晩御飯は食べないこととして小腹がすいたときのためにバナナを買った。どこ産のバナナかは分からないが40ルピー。7本ほどだが、帰国後調べるとバナナは一本1ルピー程度が相場とのこと。やはりここでもぼられたのだろうな~。

朝の9時にホテルを出てずっと歩いて午後の3時半である。まだ時間はあったが疲れたのでホテルに帰ることとした。レイトチェックアウトは大正解だった。ホテルについて一休みをしているうちに時間となった。10分ぐらい前に部屋を出ようとしたらボーイが親切にも催促に来た。ロビーに降りて10分ぐらいしたら迎が来た。時間より大分早いがそのまま空港に向かうこととなった。空港に着くやいなや「運転手さんにチップを200ルピー払ってくださいね」と額指定でチップの催促。ツアーの中に含まれているはずであるが、面倒くさかったので、まあ、いいかと思い支払った。

飛行機に乗る人しか空港内に入れないのでチケット控えをガードマンに提示して空港に入った。帰国便のANAもここインドでは郷に入っては郷に従っているようで見事に3時間遅れ。まだ9時前だが、午前3時の出発まで待つこととなった。午後10時にANAのカウンターが開き、チェックイン。ここではタグを渡され手荷物検査が終了したら押印を受ける。


往きと違い、真ん中の3列シートはほぼ埋まっていた。俺のところも隣こそ空いていたが横に1人いた。帰国便では結構眠ることができた。日本での入国審査は愛想が良い。流石日本。