運の良い人、悪い人はいるのかと問われれば確かに「いる」と思う。
本田総一郎は「あなたは運が良い人か」と聞いて「はい」と答えた人を採用したとか。
運が悪いと嘆く人は多いが果たして運とは何であろうか。
どうすれば運は良くなるのか。
目次
運とは何か
右か左かで偶然選んだ方が正しかったとか
勉強していたところがたまたまテストに出たとか。
宝くじがあたったとか。
本来偶然に支配されうることが自分の希望の方向で決まることの割合が高い人を「運が良い人」という。
その反対に、本来偶然に支配されうることが自分の希望の方向に決まらないことの割合が高い人を「運が悪い人」という。
運も実力のうちとも言われている。
かく言う私は自分で言うのも何だが、運が良いと思っている。いや、もしも運が良いなら、もっともっと出世していただろうし、そもそもこんな所でブログなどやっていないで、IT企業の社長にでもなっていたかも知れない。宝くじにも当たらないし。そう思うと運が悪いのかも知れない。
でも、運が良いと思っている。
どんな人が運を良くしたいと願っているか
運が良くなりたいと願う人はそれは運が悪いと思っている人だ。そして運が悪いと思っている人は本当に運が悪い人だと思う。
運が良くなりたかったら、運が良くなるようにと願わないことだ。何か禅問答のようだが、そう思う。
運が良くなりたいと思えば思うほど、ペンダントが増えたり、壺が増えたりする。運を良くしようなんて危険な考えだ。
人生、地に足を付けて生活することが大切だ。
だから、私は運が良くなりますようにと願ったことは一度もない。
でも、正月に神社仏閣にお参りするのはもしかすると良い運が来るようにと願っているのかも知れないが。それは日本の風物詩ということでお許し願おう。
運の総和は一定だ
世の中は本当に不公平になっている。皆が幸せになることはない。経済的には限られたパイを奪い合う世界で、隣の人が潤うから自分が潤わないのだ。不公平が良くないので、富める者から富まない者への流れを作るのが為政者だ。人間の叡智だ。そこには運が入り込む余地はない。
誰が親だったかで人生の半分は決まる。これは間違いない。だからそれは運に左右されているということだ。頭が良いのも悪いのも親譲りだろう。鳶が鷹を産むことはない。ただ、残りの半分は自分の努力だ。運だけで左右されるほど世の中単純ではない。
でも、運が良いと思っていても、ガンで早死にするかも知れないし、交通事故で亡くなるかも知れない。死ぬその瞬間まで運をジャッジすることはできない。
幸せの総和は一定だという話を聞いたことがある。
もしかすると運の総和も一定なのかも知れない。
運を良くするにはどうすれば良いか
納得しがたい話ばかり続いたことだろう。なぜなら、運を良くしたいと願っているのに、「運の総和は一定だ」とか、「人生地に足を付けろ」だとか分かり切ったことばかりを言っているからだ。
実は、話はここで終わりではない。今迄のは序盤戦だ。
運について、論理的かつ客観的に見てきただけだ。
できるだけ運から気持ちを離そうとした。
それらを聞いてどう思ったか、ここから物事は始まる。
実は、ここからは巷の怪しいサイトと内容はかぶることになる。若干こちらの方が、真髄を付いているとは思うが。
さっき、「運が良くなりたかったら、運が良くなるようにと願わないことだ。」と書いた
できるだけ運から気持ちを離そうとしたのは、運が良くなるようにと願わないようにしたのだ。
そう、運を追えば追うほどに運は逃げていく。運が良くなりたいと思えば思うほど運は逃げていく。まるで恋愛のようなものなのだ。
運を追ってはいけない。
それでは、どうするかということだが、それは、自分は運が良いと思うことだ。
自分は運が良いと信じることだ。これが運を良くするたった1つの方法だ。
先の、「あなたは運が良い人か」と聞いて「はい」と答えた人を採用したという本田総一郎の話でも分かる通り、運が良いと思えばアピールもできる。
運は運に付いてくる。
「運が悪いのに良いなんて思えない」と思うだろうが、念ずることである。念ずれば必ず叶うのだ。
繰り返し、繰り返し「自分は運が良い」「自分は運が良い」と思うのだ。
事故があっても怪我だけで済んで運が良い。
お金がなくても、病気をしないだけ運が良い。
生きているだけで運が良い。
まるで宗教のような話だが、私は次に書いたように宗教は嫌いだ。嫌いな人間が言っているのだから間違いない。このサイトの他のページを見て欲しい。全て固いことばかり書いている。自画自賛になるが、私見ではあっても真実を追求していると思っている。このページもそうした視点で見てもらえればありがたい。
世の中には、まだまだ未知のパワーは存在する。念ずることで生ずるパワーもある。
信ずる者はすくわれる。