引きこもりだった者が起こした事件、引きこもりで事件を起こしそうだから刺殺した事件、なんとも痛ましいとしか言いようがない。
引きこもりの者だからと言って事件を起こすわけではないことは皆分かっているが、引きこもり者に対する世間の目は厳しくなっている。
引きこもる本人はどう思っているのだろうか。本人の心情を斟酌するに、現状が良いとは絶対に思っていないはずだ。外に出て働き、光り輝く人生を送りたい、そうなりたいと思っている。だが、現実にはそれができない。できないばかりか外に出て人と交流することすらできないのだ。
なぜか。人と接すると異常に気を遣ってしまうからなのかも知れないし、人と接する感性が欠如して人間関係を構築することができないのかも知れない。しかし、その原因を追究しても意味のないことだ。原因を追究しても現状は変わらないのだから。
そして、一部の人間は、こんなふうになるのは社会が悪いと社会のせいにするかも知れない。でも、別にそれは引きこもりの者だけの特有の心理ではない。物事がうまく行かない人間なんてごまんといる。そうした人間がたまたま引きこもりだっただけの話だ。だから、引きこもりの者だから事件を起こすというのは偏見だ。
自己責任と言うが、誰も、好き好んで引きこもりになった分けではない。そこに至るまでには事情があるだろう。その事情は本人にしか分からないものかも知れないし、本人でも分からないかも知れない。
傍にいる者たちは、何とかして引きこもりをやめさせようと努力するが、一朝一夕に「はいそうですね。」などとはならないことは80-50問題が示している。
それではどうすれば良いのか。私見を述べたい。
目次
引きこもりを解決する生活保護という手段
引きこもりをどうやって解決すれば良いのか。様々なことが言われている。相談機関もたくさんある。医学的にも取り組む事柄は多い。そうした方法で解決できるのが一番良いが、そうした一般的な話は、ここでは置いておく。
そうしたことを十分やってきてもダメだった場合や暴力的な事案の場合についてどうするかということだ。先の事件を受けて自分なりに考えてみた。
単身生活は引きこもりを解決する手段となる
私は本人が単身生活を送ることが良いと思っている。その方法として生活保護という途があるということを述べる。
不思議と、単身生活者の引きこもりは聞いたことがない。単身生活は、そもそも社会との接点がないと無理なので、引きこもりたくとも引きこもりようがないということなのだろうか。
とすると、引きこもっている者に単身生活をさせれば引きこもりは解決するのではないか。親にお金があれば生活費を支援すれば良いし、お金がなければ生活保護を受ければ良い。
「そんなことは分かっている。本人は引きこもっていて、そもそも、アパートを借りることすらできないのだ。」という声が聞こえてきそうだが、それなら親が単身生活を送ることができるまでお膳立てしてやれば良い。
アパートを借りて、電気、ガス、水道の手続きをして引越し業者に連絡してと、全ての準備をしてあげて、後はそこに住むだけにしておけば良い。当面の食事の世話は行ってよいが時間が経てば自分でコンビ二に行けるようになるだろう。それで自立してくれればそれで良い。
本人が単身生活を希望しない場合
親がフォローをすると言っても本人が親元から出て行かないかも知れない。でも、それでは、本人は本当に引きこもりから脱したいと思っているのか疑問である。本人のそうした本の少しの努力は求められてしかるべきだ。
それでも、出て行きたくないというなら、徹底的に話し合うことだが、引きこもりの人との話し合いは殆ど無理だろう。話し合いで上手く行くものなら最初から引きこもりなんかにはなっていない。
話し合いに全く応じないとか、暴力をふるうようなケースは多々あると思う。ここに至っては甘えているとか自己責任とか言われても仕方ない。それなら強硬手段に出るしかない。強硬手段と言っても刃傷沙汰ではない。親が出て行くのだ。暴力でどっちかが傷つくよりはよっぽどました。
行き先を告げずに、住民基本台帳は閲覧制限をかけてどこに行ったか分からないようにしておくことだ。
子供が心配なのでそこまでできないというかも知れない。きっと親自身もここでふんぎりがつかないで堂々巡りになってしまうのではないか。でも、考えて欲しい。話し合いに応じないばかりか身の危険まで感じている状態であることを。
親は通帳と印鑑さえあればどこででも生活できる。
それじゃ、子供はどうするか、死んでしまうのではないかと言われるかも知れないが、あなたがお金を置いておけば良いだけだ。
殆どの家庭はここで止まってしまう。 2世帯分の生活費なんてないからだ。でも安心してほしい。必要な生活費はあなたたち夫婦の分だけで良い。引きこもりの当事者は生活保護を受ければ良いのだ。
生活保護は本当に受けれるのか
生活保護ってそんなに甘いものなのか、とか、じゃどうやって本人を役所に連れて行くのかと言われるかも知れない。
でも安心して欲しい。生活保護に該当しない場合はその他の生活手段があるということだし(生活手段がなければ必ず該当するということ)、生活保護の申請は本人でなくとも扶養義務者であればできるのだからだ。逃げるその足で親が役所に事情を話して申請すれば良いのだ。
もしかすると、役所で「本人が保護を受けるという意思がないと保護決定はできませんね。」と暗に保護に該当しないようなことを言われるかも知れない。役所の言っていることは正しいが、ここでは保護決定の話ではなくて保護申請の話しなのだ。保護の申請権は誰もが有するものであって侵すことはできないので申請をすることだ。
その申請を受けて役所では本人の所に調査に行く。もちろん、本人が調査に応じなければ生活保護は該当しないので、夜逃げをするときにメモでも置いて、調査に協力するように伝えて、今後の流れを示せば良い。親が最後にしてあげる優しさだ。それをも本人は否定するかも知れない。でも、死のうと思わない限りは素直に従うだろう。背に腹は代えられない。
重ねて言うが、刃傷沙汰になるよりはよっぽど良い。
生活保護は継続するか
生活保護は国民の貴重な税金が原資だ。当初は生活保護が該当したかも知れないが、果たして継続するのかどうかといえば別の話である。そもそも、調査に協力しなければ開始にすらならないし、開始した以降に保護を継続する場合は稼動阻害要因がはっきりしていないとならない。
「引きこもりです。」だけでは働けないことにはならないし保護を受け続ける理由にならないということだ。通院等をして客観的に働けないという事実が確認されなくてはならない。だから、通院も何もせずに保護費が振り込まれるということもない。
通院もしないし、何もしないでは、場合によっては保護廃止となるかも知れないが、ここで、言えることは、生活保護に該当したら引きこもり対応は行政の出番となるということだ。もう親の狭い範囲で悩む必要は、ここでなくなる。
80-50問題は問題でない
80-50問題と言われているが、私は、問題視するのは「引きこもり」であって、わざわざその内容を特定して80-50問題とピックアップする必要はないと思っている。
問題視する者は、引きこもりが長期化して親が亡くなった後、子供が生活できないのではないかと心配するのだろうが、大丈夫だ。今でも自分で生活できていないのだから、親が亡くなった後でも自分で生活できないということは変わらない。だから、何も変らないのだ。変るのは、生活の糧が親の年金から生活保護費に変るという点だけだ。
80-50問題で親が亡くなると、否応なく本人は社会に出ざるを得なくなる。それで引きこもりが解決すればそれはそれで良いことなのかも知れない。親は自分が死んだ後この子はどうやって生きていくのかなどと考える必要はない。
日本に生まれたことに感謝しなければならない。