戦争を引きずっていた時代は確かにあった
例年8月15日は終戦記念日である。日本が負けた日なのに記念の日とはどういうことなのだろうか。
まあ、それは良いとして、蚤野は終戦後十年以上経ってから生まれた。当然、第2次世界大戦の様子などは知らない。
生まれたときは、まだまだ戦争の傷跡を引きずっていただろうが、蚤野が小学生のころはさすがに戦争は遠い昔となっていた。戦争は人々の記憶からも薄れていた。
ところが、昭和40年代は今と比べるとやはり戦後だったんだなと思わされることがある。そのひとつは、戦争もののテレビ番組が多くあったということ。
8月となると各テレビ局ではこぞって戦線の記録フィルムを流し、戦闘の様子をドキュメント風に解説していた。1週間以上立て続けにである。
恐らく、当時は前線に行った人たちが存命だったので、そうした番組のニーズがあったのだろう。
今では、NHKが申し訳程度に放映するぐらいだが、日本がなぜ戦争という過ちを犯したのか、戦争とはどのようなものであったのかなど、後世を生きる者たちに学習という意味でも、もう少し以前のように戦時番組があっても良いと思う。
次に傷痍軍人がいたということである。祭りのときにハーモニカーで軍歌を吹いていた。軍帽を被ってはいるが、服装は白のガウンのようなものを着ていた。傷痍軍人が病床で着るものである。
五体満足の者はいない。ある人は腕が肘下がなく、海賊が付けているような義肢を付け、また、ある人は義足を付けて下を向いてハーモニカーを吹いていた。
彼らの前にはお金を入れるための入れ物を置いている。誰かが、あれは本当の傷痍軍人ではないと言っていたことを覚えている。ただ、ハーモニカーはすこぶる上手かった。
アンプを通じて出てくる音は人々を魅了するものだった。本物の傷痍軍人ではなかったかも知れないが、そういった人たちがいたこともひとつの時代だったのだ。
遠い昔のことである。老人になると昔のことを思い出すというのは本当だ。
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