吉川農林水産大臣は1日、閣議のあと記者団に対し、ことし7月からの商業捕鯨再開に向けて資源に影響を与えないよう、近く省令を改正して対象となるクジラの種類や海域ごとに捕獲枠を設ける方針を明らかにした。
この中で吉川農林水産大臣は、IWC=国際捕鯨委員会から脱退し、ことし7月から再開する商業捕鯨について、「科学的な根拠に基づく資源管理を徹底し、100年間捕鯨を続けても資源が減少しない水準を維持する」と述べた。
先日、日本はIWCから脱退することを決定したが、その後の第一歩が始まった格好だ。
この調子で様々な施策を行い、早期に我々の食卓に安価なクジラを載せてほしい。
ところが、こうした方向に水を差すのがマスコミの反応だ。
未だに、国際協調を無視している。大体クジラの需要はあるのか。他国の批判を受けてまで脱退する必要があるのか。他国を説得する努力を放棄したのではないかなどと批判する向きもある。
日本人としてはとても残念な話だ。恥ずかしくもある。なぜ、もろ手を挙げて喜ぶことができないのだろうか。他国が日本の食文化を否定していることを我々は肝に銘じるべきである。
「国際協調を無視している」と言うが、IWCの非論理性は誰しもが知るところだ。自国の文化を否定するIWCに文句も言わずに盲従すれということなのだろうか。
クジラ肉の需要は低迷しているのは事実だ。でも、これは高いから買えないだけだ。もしくは、同じお金を出すならばもっと他の高級な食材が買えるからだ。クジラ肉が昔のように安価になれば間違いなく需要は上がる。
「他国を説得する努力を放棄した」に関しては笑止千万だ。1986年に日本が商業捕鯨を中止して以降、日本がどれだけ商業捕鯨再開に向けて努力をしてきたことか。その努力を否定するのだろうか。努力に努力を重ねたうえで今後の見通しが全く立たないので脱退の決断をしたのではないのか。
恐らく、批判をしている人たちはクジラ肉の果たしてきた役割を知らない世代なのだろう。もの心ついたときから、クジラ肉というものが周りになく、その必要性、重要性を認めることができないのだ。
クジラ肉は戦後の食糧難のときから貴重なタンパク源であった。私の子供のころはクジラの缶詰、ベーコンばかりを食べていた記憶がある。我が家の食卓に大きく貢献してくれた。我が家だけでなく、どこの家庭もそうだったろう。
間違いなくクジラ肉は日本の食文化であったのだ。 そうした時代に生きてきた身としては捕鯨再開を心待ちにしてきた。
念願の捕鯨再開にまで漕ぎ着けた今、我々は、捕鯨国に住む者として、その喜びを共有するべきではないだろうか。