長い人生、「まさか」という坂がある。順風満帆に行かない、何が起こるか分からないということだ。確かにそうだろう。誰も病気になるとは思わないし、事故に遭うとは思わない。
人生に取って生活保護を受けることも、この「まさか」に該当する。
順風満帆に来ていて、あるとき、急にお金に困窮するのだ。
別に生活保護を受けるのが悪いというわけではない。日本人の当然の権利だから該当する者は受けるべきだ。でも、受けなくて済むものなら受けたくはない。
誰も、個人の生活に干渉されたくない。
困窮と言う「まさか」はなぜ起こるのかを考えてみた。
目次
生活保護を受ける理由
「幸福な家庭はみな一様に似通っているが不幸な家庭はいずれもとりどりに不幸である」トルストイが言った言葉と思うが、生活保護に関しては違う。
世帯は単純に類型化されており、それらが生活困窮の原因だ。「とりどりに不幸」なのではなく、不幸の状況は類似している。(生活保護が不幸という価値観があると仮定して)
体の不調で働けない(「若しくは働いても収入が少ない」以下同じ)なら、「傷病者世帯、障害者世帯」となる。
小さな子供がいて手がかかって満度に働けないなら「母子世帯」となる。
高齢(65歳以上)で働けないなら「高齢者世帯」となる。
そして、この何れにも該当しないのが、「その他世帯」である。理由もないのに困窮している場合で、失業状態が主なものである。
だから生活保護を受けないようにするには、この何れにもならなければ良いのだ。
生活保護を受ける必要がない生活とは
健康に留意して病気にならない努力をする。母子世帯にならないようにする。高齢になって以降の生活ができるように、若い時に一生懸命働いておく、蓄えておく。失業してもすぐに仕事を見つけるようにする。
そして一番大事なのは、貯金などをしておいて例えこうした事態になっても「まさか」にならないようにすることだ。
更には、良き人間関係を親兄弟の間で構築しておき、いざというときに協力してもらえるようにしておくことだ。一時的な同居なども良い。
人生訓のようで書いていて 面痒くなってくるがこれらが基本と思う。
しかし、備えていても、努力をしていても思い通りに行かないこともある。たまたま働いた職場が潰れたとか低賃金だったと言うのも確かにある。努力をしてもどうしても仕事が見つからないということもある。努力が裏目に出ることもある。これらは仕方がないことだ。努力をしてもダメなら諦めるしかない。
「まさか」を自分で呼び込んではいけない
しかし、「まさか」を自分で呼び込む人もいる。「まさか」になるのが当然なことをやる。当たり前のことをやらないで「まさか」になる。努力しないから「まさか」になるというものだ。
仕事を転々として長続きしない者、一生懸命仕事を探さない者、覚せい剤など悪事に手を染める者などだ。こうしたこと者は「まさか」を自分で呼び込んでいる。自業自得かも知れないので改心するべきだ。尤も生活保護は困窮の事由を問わずに受けることはできるが。
あなたは「まさか」を呼び込んでいないだろうか?