安田純平氏の解放に基づくジャーナリズム論はマスコミにこそ責任があることを忘れてはならない

安田純平氏が解放されて戻ってきた。何はともあれ喜ばしいことである。

と同時に、氏の「ああいう形の解放のされ方というのは望まない解放のされ方だった」の発言もあり、巷では自己責任論とジャーナリズム論で騒がしい。

私は、もともとが自己責任者ではあるが、今更自己責任を前面に出して論じようとは思わない。

自己責任論とは、本来、拘束される前の段階で論じるべきであり、拘束された以降に自己責任論に基づいて救出をしないとする選択肢はないと思っているからだ。

邦人保護は国の務めであり、一旦、拘束されたなら、国は自己責任論とは言わずに与えられた責務を全うすべきと思っている。

それなら、自己責任論者ではないのではないかと言われそうだが、本来は自己責任であるべきと思っているのでやはり自己責任論者なのだろう。

ただ、この期に及んで、声高々に自己責任を前面に出す必要はないと思っている。

日本政府の関与と身代金の支払いについては表立って論じるべきではない

日本政府の無策ぶりを論う話もある。「今迄何もやって来なかったくせに解放されたとなると日本政府の手柄かのように言う」と言った論調である。これはこれで歓迎したい。

何も、この論理に同調して歓迎しているのではない。

巷でこう思われている方が良いからだ。

なぜなら、身代金が全く払われていないと思う方が能天気だからだ。拘束した側も今迄、手間暇をかけて拘束したのに1円にもならないなら、そこで解放ではなく、最悪な結果を行うであろうからだ。つまりは、日本政府は身代金という最大の貢献をしたものと思う。

反政府勢力が劣勢になったから解放されたという見方もあるが、金の成る木があるなら、価格を下げてでも身代金交渉を行うだろうし、劣勢で本当にせっぱ詰まっているなら、見せしめを行ってでも金を得ようとするはずだ。しかし、そうはなっていないということは身代金を支払ったと見るのが正しいだろう。

ただ、その話はタブーだ。本来は一切触れてはいけない。金になると分かれば再発は免れないからだ。だから、これ以上は言及しない。

ジャーナリズム論と自己責任論について

「世界で行われている悲惨な状況は、白日の下にさらされるべきであり、こうした報道を行わないなら、目と耳をふさいでしまうことになる。」との論調もある。

所謂、ジャーナリズム論である。だから、安田さんの行為は尊いものだという結論だ。

自己責任論に相対する論理である。

この期に及んで自己責任論とジャーナリズム論の対立であるが、これは昔からあったものである。どちらが正しいかと言われると、どちらも正しい。ただ、切り口が違うだけだ。

だから、結論など出るはずがない。

それぞれの人が、どちらに重きを置いて考えるかだ。

だから、ここではどちらが正しいといった議論は避ける。

議論は避けるが、それじゃ、どうすれば良いのかということになる。今のような状況、つまりは、「政府が渡航自粛を促しているなか、ジャーナリズムの名のもとに危険地域に行って、拘束された者がいること」これを仕方がないとするのか、本来どうあれば良いのかという問題である。

冒頭、述べたとおり、私は自己責任論者なので、自分で責任が取れないなら行くべきではないと思っている。これに対して、「助けてくれ」とは絶対に言わないので、自分の責任の中で行くことなので、構わないのではないかというのが安田さんたちの理屈であるが、邦人保護は政府の責務であることを考えると構わない訳にはいかないので、責任を取ると言う話はここで破たんをしてしまう。なので、「行くべきではない」と言うのが私の主張ではあるが、物事、そんなに簡単でないのは前述のとおり。

報道機関の責任はないのか

それでは、どうすれば良いのかということだが、私はマスコミ、報道機関の在り方が現在問われているものと思う。

報道機関は、もちろん、ジャーナリズムで成立するので、自己責任論者とはならない。安田さんのような人達からの情報を購入して報道している以上、そうした人たちの行動を否定することはできないからだ。

そうであるならば、どうあるべきかを考えなくてはならないのが、マスコミの責務だ。

マスコミは自社の社員であれば絶対に危険地域には派遣しない。ジャーナリズムの必要性と危険性を天秤にかけると派遣する方がリスクがあるからだ。だから、危険を冒して情報を得る者がいる以上、そうした者から情報を購入するのだ。要は他人のふんどしで相撲を取って初めて成立するジャーナリズムなのである。

情報を買う者がいるので、ジャーナリズムの名のもと情報を得る者がいるということを忘れてはならない。

つまりは、こうしたできごとは、良いとこ取りだけして「ほっかむり」を決め込むマスコミの責任は免れないということを言いたい。

例えば、マスコミ各社が協力してこうしたジャーナリズムを具現化する者たちに対する保険加入を行うというのはどうなのか。

まあ、それ以前に、こうしたことに対する議論を各社が協力して行うべきなのだろう。