日本の生活保護費は高いのだろうか

「2018年9月3日、新週刊の微博アカウントは、日本のホームレスの生態を紹介した。ホームレスたちが毎月受け取れる生活保護の金額に、中国のネットユーザーは驚きを示したようだ」と紹介している。

中国人の平均月収よりもはるかに高い生活保護を受け取れることについて、中国のネットユーザーは「自分なんて死ぬほど疲れて働いているのに、もらえるお金は(日本の生活保護の)3分の1にも満たない」としている。

生活保護費が高いという批判は国内からは以前から聞いたことがあるが、ついに海外からもそうした声が聞こえるようになったということか。

ただ、この話も、「同アカウントは日本のホームレスの家は自転車上であり、都会の隅っこのさまざまな場所で寝泊まりしている。」と言った事実誤認もあるのでそのまま信用するわけには行かないものではある。

さて、日本の生活保護費は実際にはどうなのだろうか。保護を受給している者は少なすぎて憲法の定める最低限度の生活を保障していないといたるところで訴訟を起こしている。

他方、先のとおり高いのではないかという批判もある。

実際のところはどうなのであろうか。

生活保護費の支給基準

生活保護費は級地毎に定められている。1級地から3級地まであり、その中でも更に1と2に分けられている。級地の概念は市町村単位である。国が消費動向を調査し、その場所、場所での生活保護を受けている者の支出が地域との均衡を失さないようにしているのだ。地域の支出動向が少ないなら保護費を低く、多いなら高くという考えだ。だから、同じ世帯であっても住む場所によって保護費が異なるので、ピンポイントでこうした世帯は保護費はいくらということはできない。特に住宅費に関しては級地の開きが大きいことは理解できるところだ。

保護費の計算は大元の級地に基づく、個人単位の1類と世帯単位の2類に分けられる。1類は年齢ごとに細かく定められ、個人単位なので単純に人数が増えるとその分増加する。昔は、人数を乗じた額がそのまま支出されていたので、家族が増えると天文学的な一般常識ではありえない額の保護費が出ていたが、最近は是正され逓減率を乗じるようになった。2類は世帯で使う物の経費であり、人数によって異なるが年齢は関係ない。

実際の保護費はいくらか

上のように級地、世帯構成、年齢で異なるので一概には言えないが、例えばの話で、住宅費、医療費、冬季加算を除き、単身では8万円程度、二人世帯では12万円程度。これをどう見るかである。もちろん、税金、保険料、医療費は一切かからない。

ネットでは、「何を贅沢な、自分なら、全然生活保護基準以下で生活している」との声も聞こえる。

生活保護費に対する様々な考え方

国では、様々な調査に基づいて生活保護費を適正に算出しているとしているが、物には見方がある。

消費動向は個々人で大きく異なるし、一度経験した生活水準は簡単には下げられないということもある。

他方、捕捉率という言葉もある。これは、本来生活保護基準以下の収入しかないにも拘わらずに生活保護を受けていない者がいるということで、こうした生活保護基準以下しか収入が無い者についてその何割が生活保護を受けているかという割合である。もちろん、公に調査したデータはないが、この捕捉率はとても低いのではないかということだ。これが真実とすると、生活保護費以下でも十分生活できるということになる。

絶対貧困とは、食べるものがなくて生死をさまようという状態であるが、この絶対貧困は日本にはないとされている。

一番の問題は、健康で文化的な最低限度の生活は何を指すのかということである。ある人は、人並みの生活と言うだろうし、ある者は、何とか食べていけるだけの生活というかも知れない。

立場の違いで意見が大きく異なる

同じ生活保護費であるが、生活保護費をどう見るかは立場によって大きく異なる。国の立場、一般市民の立場、生活保護を受給している立場で意見が異なる。

国は当然、適正な保護費とする。一般市民は保護費は高すぎるとする。生活保護を受給している者は保護費は低すぎるとする。

こうした立場の違いで意見が違うのは当然のことだ。金額を決める側、そのお金をねん出する側、そのお金を消費する側で当然異なる意見となる。

実際には生活保護費は高いのか安いのかー私の考え

こうした様々な状況を考えてどう判断するか、どう思うかである。実は、実際には保護を受けている者でも結構優雅に暮らせているとする者もいる。沢山貯金をしている者もいる。要は生活実態、消費動向でどうかということになる。

私はどう考えるかというと、この保護費で生活をすれと言われたら、まあ、できると思うが、ちょっと厳しいときもあると思う。そうした意味では適正な保護費ではないかと思っている。

生活保護を受けている者も、やはりちょっと厳しいという意見は多いだろうが、そこで考えなくてはならないのは、健康で文化的な最低限度の生活だ。実は、ここで生活保護を受けている人達が勘違いをしているのは、健康で文化的な「普通の生活」が保障されていると思っている点だ。間違えてはならないのは、保障されているのは、あくまでも、健康で文化的な「最低限度の生活」であって、最低限度しか保証されていないということだ。何を普通とするかということはあるが、普通の生活水準は保障されていないし、されうるべきものではないということだ。普通の人が普通に生活している生活水準よりも低い生活水準を余儀なくされてしかるべきということだ。