起業とはどのような人達が行うのでしょうか。もちろん、起業したい人が行うことではありますが、現在の職業を投げ打って起業をするのですから、現在の仕事を辞めるというリスクを伴うものです。
ですから、誰にでも勧めることができるというものではありません。それではどのような人達が起業すれば良いのでしょうか。
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起業に向い てる人はいるのだろうか
起業を思い立つ人の年齢や置かれている立場は様々と思います。それでは、果たしてどのような人が起業すべきなのでしょうか。起業に向く人と向かない人はいるのでしょうか。答えはYESです。起業した方が良い人、起業はしない方が良い人がいることには間違いありません。
起業した方が良い人とは、①これは絶対に良いというビジネスプランを持っている人、②失敗しても失う物が比較的少ない人、③起業に熱い思いを持つ人、④能力のある人です。 起業に向かない人はこれの逆の人、そして人生に不満が多い人です。
ワーキングプアこそ起業をするべき
「正社員並み、あるいは正社員としてフルタイムで働いてもギリギリの生活さえ維持が困難、もしくは生活保護の水準にも満たない収入しか得られない就労者の社会層」と解されているワーキングプア。啄木の「働けど働けど」の世界です。
一生懸命働いても収入が低い。でも、自分の実力からしたら本来もっと高収入であるはずなのに、たまたま稼働先からの収入が低いだけであるということはないでしょうか。
どれだけ実力があっても、一生懸命働いてもその会社が儲かっていなくては高収入は望めませんし、儲かっていても足元を見られて叩かれる場合もあります。最近は官制ワーキングプアもあります。
そんなワーキングプアの方々こそ、起業する意味があります。失敗してもともとです。チャレンジして成功したらワーキングプアから抜け出すことができるのです。
ただ、基本的に起業する実力や能力があるという前提です。現状のワーキングプアとなっている理由が実力や能力がないからというのであればなかなか難しいでしょう。自分の学生の頃から今までを振り返って良く考えてみましょう。
起業の中身に自信のある人は起業をするべき
「起業の目的として、お金を儲けたい、社会的地位を得たいということだけではダメです。そんな自分だけのことを考えることはエゴです。私は常に、社会の役に立ちたい、人の役に立ちたいと思って来ました。皆さんの幸せが私の幸せです。起業する人は決して自分のことだけを考えてはいけません。」
と言う人が多くいます。成功した社長さんは恐らく異口同音に言うでしょう。これを聞くと私は聖人君子しか起業してはいけないのではないかと思ってしまいます。
何か綺麗ごとだけを言っているような気がしてならないのと同時にどうしても上から目線で話しているようで違和感を感じてしまいます。このように言う人には「ボランティアをやれば良いのでは」と言ってしまいたくなります。
それではこうした名言(迷言)は間違っているのでしょうか。なぜ、間違ったことを皆さん異口同音に言うのでしょうか。私はこのような言葉は好きではありませんが、実は真実を言っている部分もあると思っています。
聖人君子になれと言っているのではありません。それは「社会の役に立て、人の役に立て」ということです。
なんだ、同じことを言っているのではないかと思われるかも知れませんが、言葉を変えると「他人に満足してもらえ」の一言です。役に立つとは満足してもらうということに他なりません。でもこれって商売のイロハですよね。
改めて言うことではないような気がします。人は満足しないことにお金は払わないですから。満足する物、サービスを提供するという商売の基本を単に人生訓的に言っているに過ぎないものでしょう。
WIN―WINの関係になること。商売の基本、起業の基本はこれに尽きます。
あなたの会社は何で人を喜ばせることができますか。あなたの会社の物やサービスで自信を持って人が喜ぶと思いますか。「YES、なぜなら我が社の○○は○○だから」と答えることができて初めて起業できるのです。
こうしたフレーズを円滑に言うことができる人が起業できるのです。