マレーシア旅行記、南国情緒のマレーシア(番外編)

番外編

テレビ

テレビも外国を実感する良いグッズだ。早くホテルに着いたときは分けの分からない番組をずっと見ていた。言葉が分からなくとも、画像だけで十分楽しめる。マレー語に対して英語の字幕の付いている番組もあり、何とか意味を斟酌できることもある。

番組は数多くある。有線ではNHKも見ることができるし、BBC放送もそのまま放映している。

言葉は、マレー語、英語、中国語である。ひとつの局がどれかの言語を専門的に放送するのかと思っていたら、番組によって色々変わっていた。シンガポールではタミール語もあったと思ったが、マレーシアでは聞くことができなかった。

あたしんち、名探偵コナンなど日本のアニメも多く放映されていた。

手品の種を公開する番組では、「こんなことまで種を明かして良いのか」と思うほど詳細な種明かしをしていた。恐らく日本ではあり得ない番組だろう。

番組毎にボリュームレベルが異なるのはいささかいただけないが。

ホテル

今回は、0~4星まで、5箇所のホテルに泊まった。それぞれのホスピタリティ、値段、雰囲気を比較したが、結論として、3星ホテルで十分と思った。

マレーシアのホテル価格は日本のほぼ半分と見てよい。なので、1万円のホテルは日本で2万円のホテルに泊まったので同じようなものである。今回は2,400円から10,000円までのホテルに泊まったが、高級ホテルになればなるほど、ホテルのロビーが広くなってくる程度で、部屋自体の豪華さは大した変わらなかった。さすがに2,400円のホテルはロビー、部屋ともみすぼらしいものであったが、ベットは十分清潔だった。

フロントの従業員の態度も大きなファクターとなる。偶然ではあろうが今回の旅行では、事務的なところと、そうでないところとに大別された。概して、大きいホテルの方が事務的のように思えた。また、こまごましたことを解決してくれたところのホスピタリティを高いと感じたのは言うまでもない。

やはり、ホテルの顔は従業員にあると思えた。

ホテルの場所はできるだけ交通機関の近い場所にすべきである。それでなくては辿り着くことができないし、ちょっと「観光」という訳にも行かなくなる。くれぐれもタクシーを使わなくては行けないような場所のホテルは泊まるべきではない。

マレーシア雑感

■雑感1■
マレーシアは混沌としている。はっきり言って汚い。ゴミが落ちていると言うわけではないが何となく汚く感じてしまう。建物も古めかしくて汚れている。ただ、店内はどこも整頓されていて、日本と変わらなく清潔な感じはする。また、KLCCやブキット・ビンタンなど市の中心部は日本の都心とそれほど変わるものではない。しかし、チャイナタウンは当に混沌中の混沌だ。平均して日本の街並みとは大きく異なる。何が違うかと思って注意していたが、先ず、色の使い方である。建物でも何でも「色」があるというように感じる。また、窓等に装飾を施しているところも多い。建物はひとつひとつが独立しておらず、繋がっているのが殆どで、このような違いが異国情緒を出しているのかもしれない。道路占有という考えはあるのだろうか。日本では歩道に物を置くときは道路占有許可を取らないとならないが、ここでは、歩道に何を置くのも自由なのだろうか。チャイナタウンでは、屋台が夕方から歩道を占拠しはじめ、日中でも歩道を歩いているといつの間にか店舗で道を塞がれている。車が堂々と歩道に停まっているのは当たり前の光景だ。バリアフリーという言葉も存在しないだろう。歩道上の段差はどこにでも出てくる。マレーシアの道路は人が歩くようにできていないというが当にそのとおりである。物価は確かに安い。車や日本からの輸入ものは高いが、平均して、日本の半分から1/3といったところだろう。屋台の食事は300円ほどで十分食べることができるし、地下鉄などは、30円から70円ほどで乗ることができる。旅行中「お金が減らない」と感じたのも確かだ。冒頭のとおり、マレーシアは日本人がロングステイや移住したい国NO1で日本人も多く住んでいる。住み方は、日本をそのまま持ち込み、日本コミュニティ内だけで生活する方法と、現地にどっぷりつかる2つの方法があると思うが、何れにせよ、果たして「生活」はどのようなものなのだろうか。旅行中は交通マナーなど辟易した部分はあったが、帰ってみると妙に懐かしい。

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■雑感2 マレーシア英語■

マレーシアの言語はマレー語だが、異なる民族間では英語が共通語となることから、英語が広く通用する。マレーシア訛りの英語というが、我々日本人には訛りなど全く分からない。もともとが、母国語でないため英語ネィテブと違い、日本語風英語が良く通じる。LとRの発音の違いなんかは全然意識する必要はないようだ。

英会話の難易度をランク付けするならば、①旅行英会話、②日常英会話、③ビジネス英会話の順になると思う。そして、この旅行英会話と日常英会話の間は格段の開きが存在する。巷の旅行英会話の本を見ても分かるとおり、旅行英会話は、道や場所を聞くなど、もともと必要となるシチュエーションは限定されており、中学生レベルで十分だ。実際、自分の英語レベルは外人が話す中学生レベルの英語をやっと理解できる程度なのでたかが知れているが、旅行に支障の無い程度には意思の疎通が図れた。

それというのも、甘えることが全くできない環境だからだ。ハワイなど日本人が多い観光地であれば、日本語も通じるだろうが、ここマレーシアでは全く通じない。ホテルでも全然通じない。単語の羅列であれ、何であれ、アルファベットの言葉で言わないとならない。

このHP内で書かれている会話については、スムースに行なわれたように書かれているが、これは文章にするとそうなるだけで、実際はその前後や間があり、円滑からは程遠い。全ての文章に、「といっていたのであろう」などとは書けないので、そう書いただけである。

いずれの場合であっても、「相手はこちらの言いたいことをしっかり聞いてくれるし、こちらがあまり理解していないと分かると分かりやすい言葉で話し直してくれる」などということはない。それは幻想だ。ときと場合、そして相手の性格によることを実感した。

タクシーの運ちゃんはこちらの返事など全く考慮せずに、一方的にまくしたててきたし、道を聞いた人からの答えが早口で何を言っているかさっぱり分からなかったことも度々あった。観光案内所では分かりやすい英語でゆっくりしゃべってくれた。

 

旅行雑感

バックパッカーは低予算で国外を個人旅行する旅行者のことを言うが、僕が疑問に思っているのが言葉の問題である。英語圏ならまだしも、マイナーな言語の国に行った場合、旅行などは本当にできるのだろうか。今回の旅行で感じたことは、兎も角、「人に聞かなくては何も分からない」ということだ。なのに、全く言葉が分からないとどうやって様々な問題を解決するのだろうか。駅に行きたくとも方角が全く分からない場合、地図と磁石を頼りに適当に歩いて行くのだろうか。僕には全く自信がない。

今回の旅行で実感したのはインターネットの素晴らしさだ。各種情報の入手から航空券、宿の手配、ツアー申し込みは全てネットで行った。価格比較も容易だ。どれかは予約されていないなどのアクシデントはあるのかもと思っていたが、全て上手く行った。一昔前なら、個人旅行といえども旅行会社を通さないとならなかっただろうが、本当に便利になったものだ。

個人旅行だと全て自分で行わなくてはならない。必然的に外国人(現地の人)と話す機会が出てくる。難しいことを話すこともちろんできないが、一期一会なので、そのときに会話ができるだけ広がるようなグッズを持っていけば良かったと思っている。当初、そんな機会なんてあるはずないと思っていたので何も持っていなかった。例えば雪まつり風景の写真や、豪雪に埋もれている様子などは面白いのではないだろうか。