再びサマータイムが検討されている。
サマータイムの議論は以前から何度も行われてきた。経済界からの要請で、声高々に省エネや余暇増加による経済効果が語られ、その都度、いつの間にかトーンダウンして来たという経緯がある。
今回のサマータイムの話は過去の例とは異なり、2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長からの要請を首相が受けたためである。大会期間中の暑さ対策として2年間に限り2時間のサマータイムを実施したいというものだ。
良くわからない経済的な視点よりも暑さ対策とする方が具体的な理由が見えて分かりやすいが暑さ対策ならなぜ2年なのか。それは、国民の暑さ対策ではなくて、オリンピックの暑さ対策に過ぎない。
もしも、恒常的にサマータイムを進めたいとするなら、同意のしようもあるがオリンピックのためだけと正面から言われてしまうと、それならオリンピックの競技時間を早めれば良いだけではないかとなる。そして、なぜ、この夏の暑い時期の開催なのかという議論まで遡ってしまう。
余談だが、この時期になるのは、他の時期であればテレビ放映が既存の放映すべきものとかぶってしまいその分の収益が消えてしまうからだ。スポーツの祭典が商業主義に飲み込まれてしまったことがサマータイムの件で再び表面化しているが、もう後戻りはできない。オリンピックとはそうしたものと割り切るしかない。
サマータイムがオリンピックだけのためのものとするとサマータイム実施の必要性はないという結論は自ずから導き出されるだろう。それに加えて。私は以下の理由でサマータイムは必要ないと考える。
目次
サマータイムは必要ないとする理由
体調不良者が続出する
もしも2時間の時間差を設けることがサマータイムなら、大変だ。1時間ならまだ時間の誤差の範囲と言えるかもしれないが2時間となると誤差の範囲を明らかに超える。生活のリズム、睡眠のリズムが狂うこと必至だ。睡眠に問題を抱えている人は多大な影響を被る。健常者にしても多大なストレスとなることは間違いない。
サマータイムは労働時間が延びる
サマータイムは1950年頃に一度日本でやられていたらしい。しかし、当時は労働時間だけが長くなったため早期に打ち切られた。それが今、再び議論の遡上に上がってきたのである。
過去の経験のとおり、労働時間が増えることにはならないのだろうか。確かに当時の経済状況と現在は異なっているし、働き方の考え方も変わってきている。しかし、だからと言って長時間労働が増えないとする根拠にはならない。きちんと当時を検証したのだろうか。
サマータイムの実証実験の結果はあてにならない
サマータイムは2004年頃、北海道で実証実験がなされ、効果があったとしている。
余暇が増えたり、消費を押し上げ経済にプラスに働いたらしい。しかし、だからサマータイムは効果があるとするのは早計だ。
なぜならサマータイムの実証実験は不可能だからだ。サマータイムは時計の時間を進めるところに意味がある。日本中の時計がサマータイムの時間差だけ進めなくてはならない。これがないサマータイムは単なる早出早上がりに過ぎない。早出早上がりをサマータイムと呼ぶのは何と滑稽なことか。
この早出早上がりに効果が出るのは当然だ。今迄5時に退社していたのが4時に退社するからだ。今迄よりも時間が多く使えると認識して色んな行動をする。しかし、本当のサマータイムは5時の退社はサマータイムとなっても5時の退社に変わらない。太陽の位置が違うだけだ。時間が変わらないなら行動も変わらない。
システム改修費用がかかる、システムに不具合が出る可能性が高い
電算システムは変更をしなくてはならない。日にちや時間で計算されている事柄については、サマータイムの前後は全て変更しなくてはならない。サマータイム初日は一日が2時間短くなるとともに終了時には長くなるからだ。中小企業にとっては本当に大変になる。
確かに2000年問題のときには不具合は殆ど生じなかった。しかし、それは結果論であって、だから、今回も大丈夫とは言えない。
ウインタータイムはなぜないのか
サマータイムは時計の針を進めることだ。夏場に実際の時間よりも1~2時間進めるもので、例えば今まで9時~5時の間働いていた人の時間表記は変わらないが、実際の太陽の位置は異なるということだ。だから、同じ時間であっても暑さは軽減される。
このように朝の時間が涼しく、この時間帯に活動できることがサマータイムの効果とすると、それは確かにそうだ。今迄、9時だったのがサマータイムでは今迄の7時を9時と呼ぶからだ。涼しい時間帯に仕事をする方が合理的と考えるならば、なぜ、ウインタータイムはないのか。冬の朝は寒いからウインタータイムも設けるべきだ。ウインタータイムがあればサマータイムもあって良い。
最後に
森喜朗会長の気持ちも良くわかる。この時期の開催と決まった以上できるだけ混乱は避けたいと考えることは自然なことだ。でも、仮に混乱があったとしてもそれは森喜朗会長の責任ではない。
オリンピックに関して言えば、競技時間を早めるとか、選手の暑さ対策を入念に行う、例えば、競技の一部を北海道で行うなど様々な対策を行えば良い。そちらの方が余程国民の同意を得られるというものだ。森喜朗会長の責任はここにある。
政府もオリンピックのためだけと考えずに、全体としてサマータイムがなぜ必要なのかの議論を尽くすべきだ。そうすると、過去の議論のとおり、どう考えても導入という結論にはならないはずだが、新たな視点があるなら、それはそれで議論すべきだ。
サマータイムは100害あってオリンピックの暑さ対策という1利しかないことを忘れてはならない。